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2日間くらいぶっ通しで艦これをやっていた。
2013年8月14日水曜日
2013年8月9日金曜日
2013年8月6日火曜日
パラドゲーとわたし: 過去と未来の間
EU4の発売(が近い)記念。パラドゲーについてつらつら書いていく。
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| 9世紀のヨーロッパはだいぶせまい |
■はじめに: HoI2の思い出
私はCreative Assembly信者のTotal War厨なので、長い間パラドゲーには不信感を抱いてきた。この不信感は私初めてパラドゲー――HoI2をプレイした時にさかのぼる。初めてプレイした国家は、忘れもしない、中国共産党だった。周知のように1936年シナリオの中国共産党は一桁台のICしかない小国であって、当然ゲームにならない。これはいかんと思った私は次にオランダでプレイを始めた。軍の動かし方もわからない初心者は例の電撃戦に飲み込まれ、途端にやることがなくなる。さすがに懲りた私は次にドイツを選択した。ドイツはすごい!中国共産党とは比べ物にならない豊かな国である。で、ラインラント進駐、ズデーテン割譲、ポーランド戦…と歴史イベントを進めていくうちに、パラドゲー、というかHoI2がどのような思想に基づいて設計された作品なのかが分かってきた。
・第二次世界大戦という時代にあっては大国プレイが正義である。小国はまともな方法でプレイできると思うな。
・歴史イベントに逆らうことは難しい。ポーランドは滅び、ドイツとソ連は殴り合い、最後にはアメリカが爆発する。
もちろん、プレイヤーの習熟と奇策によって小国プレイは楽しくなるし、近接攻撃機と包囲戦略によって歴史の趨勢をひっくり返すことが出来るというのは分かる。しかし、そうであればこそHoI2は大国の優位と歴史趨勢の規定性をゲームデザインの前提として持っているのだ、という話になってしまう。
■そうじゃないんだ俺がやりたいのは: ヒストリカルグランドストラテジーの別の系譜
もちろん、ドイツAIがポーランドに弾き返され、アメリカにAI満州国軍が上陸するゲームが果たしてヒストリカルグランドストラテジーとして面白いかは大いに疑わしい。しかし、「縛りプレイ」めいた小国で、あくせくと歴史のifを追求することだけが同作の面白さだとは思えない。私とHoIにとって幸福だったことは、キャラゲ大戦MODという神がかったMOD*1があったことである。例えば、私は中南米の某国を担当する。ICは10ちょい、歩兵が5個師団ばかり、第一次世界大戦型の戦艦2隻を中核とする比較的強力な(!)艦隊があるものの、空軍は存在しない。どうみても弱小国だが中国共産党のような絶望感はない。周りに大国はなく、歴史イベントの縛りがゆるいからである。幸い南米のほぼ全域が中核州なので、とりあえず近隣のIC10くらいの国をいくつか殴って、地域の中堅国にのしあがる。周りを見渡すと、同様に幾つかの近隣国が淘汰に生き残って中堅国に成長している。
ここからが本当に楽しい。30くらいのICをやりくりして、更地から近代的な軍隊を作るのである。ジャングル戦に備えて山岳歩兵を中核にするべきか、それとも海上輸送の機動力を活かした海兵隊を作るべきか。仮想敵国の海軍の水準を調べ、南米で唯一の空母を持っていることが分かり青ざめる。で、こちらも空母(3年くらいかかる)の生産キューを入れたりする。そうこうしている間に初の国産(!)豆戦車が完成したり、初の国産戦闘機が実用化したりする。もちろん師団や艦船には名前をつける。全部で20個師団くらいしかないから管理も面倒ではないし愛着もある。
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| 空母やったー! |
もちろん拡張はうまくいくこともあればうまくいかない事もある。しかしゲームプレイは総じて余裕がある。もちろん、自分よりも大きな相手を殴る必要がある場面はある。大国同士のアルマゲドンめいた最終戦争に至るレースゲームという感覚がないため、戦争は非常に楽しい。パラドゲーだから適当にやってもなんとかなるしね。
■4Xストラテジーの面白さ
何もない所から帝国を作り上げる楽しさ、あるいは自分好みに国家を少しずつ発展させ、拡張させていく快楽。この論理を突き詰めたのが所謂4Xストラテジーである。ゲームデザインというだけでなく、その歴史観において4Xストラテジーとパラドゲーは決定的に異なっている。4Xストラテジーは歴史を作るゲームではないから、というのではない。そうではなく、4Xストラテジーは歴史に基づかないのである。パラドゲーに大国と小国があり、歴史イベントがあるのは、それがある特定の時代、特定の歴史的文脈を切り出して持ってきたからである。
これに対して、4Xストラテジーは――友人の言葉を借りれば――歴史を継承しない。もちろんシド星の歴史を見れば時々の局面においては大国があり、小国がある。しかし、それらの国々は紀元前4000年にはすべて開拓者の一団であった。シド星の諸文明はこれ以上遡れない歴史の始原を持ち、その地点においてはあらゆる文明は平等なスタートラインに立っているのである。
■歴史を作るとはどういうことか
話を戻す。私がHoIについて抱いた不信感は、あまりにも多くのことが当時の大国間の力関係と、歴史的趨勢によって決定されてしまっている、ということであった。言い換えれば、パラドゲーの1936年においては、第二次世界大戦がドイツとイギリス、ソ連との間で戦われることは予定されているのである。ところで、現実の1936年に生きた人々にとって、第二次世界大戦は当然の帰結だったのだろうか。そんなことはあるいまい。それどころかおそらく、ミュンヘン会談の時のチェンバレンや、ポーランド回廊を要求した時のヒトラーにとってすら、我々の知る歴史の趨勢は全く明らかなものではなかっただろう。大澤真幸がよく言っているように、歴史の趨勢というのは歴史が終わった、事後の視点に立って初めて獲得されるのである。これに対して、歴史の特定の局面では、常に別様な可能性が開かれているのである。この、(例えば)1936年を現在として生きる視点についてもう少し肉付けをしておこう。ハンナ・アレントをひけば、これは狭い路地で二人の暴漢に襲われるイメージである(てきとう)。背後から襲ってくる第一の暴漢は、過去という。過去によって歴史的な主体は前に押し出されるが、その前方には未来という第二の暴漢が立ちはだかっている。そして、過去とは反対に、未来は彼を後方に押し戻そうとする。
常に過去と未来の間に生きるこの人物の視点から見ると、時間とは連続的なものでも、絶えることのなく継起する流れでもない。それは中間地点、すなわち彼が立っている場所で裂けているのである。彼の立っている場所は我々が普段理解している意味での現在というよりは、時間における裂け目である。そしてこの裂け目は、彼の絶えざる闘争、すなわち彼が過去と未来に抗する限りにおいて存在している。(BFP:10)*2
HoI――ひいではパラドゲー全般――について言えば、後ろから襲ってくる暴漢についてはよくできている。しかし、前方に立ちはだかる暴漢についてはいささか頼りない。既に見たように、あまりにも多くの趨勢が決定に先立って、或いはゲームシステムに埋め込まれて、予定されてしまっているためである。それは確かに歴史を題材としたロールプレイではありうる。しかしそれは言葉の本当の意味でのヒストリカル・グランドストラテジーとはいえないのである。
■ どこまで時計の針を戻すべきか
1936年を継承すると、歴史の趨勢は我々の知るそれと殆ど変わらない。では、どこまで時計の針を戻せば別様の可能性を我々は見ることが出来るのだろうか。1914年だろうか。確かにヨーロッパの勢力地図は変わるだろう。しかし、全体的なゲームプレイは殆ど変化がないだろう。では、1848年はどうだろうか。あるいは1453年はどうだろうか。一つ明らかなことは、紀元前4000年まで時間を戻す必要はないということである。確かにCilivization的な歴史の始原においては、後ろから追いかけてくる不審者はもはや存在しない。だが同時にそのことは、歴史が内発的に前に進む契機を失っているということでもあるのである(だからCivシリーズにおいては、あくまで「もっとくれ」的に文明ののビーカーやハンマーの数を増やしていくことにゲームの楽しさが集約されるのである)。
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| 立地のよしあしはあるけど…ねえ… |
他方でおそらく、パラドゲーにとっての最大の桎梏は、そのヨーロッパ中心主義である。EUシリーズにおいて、非西洋文化圏が技術開発にペナルティーを課せられているのを見れば分かるように、パラドゲー史観において近代史を駆動させるのは徹頭徹尾ヨーロッパ人なのである。
■ようやくCrusader Kings2について語る
思うに、「どこまで時間を戻せば全く異なる歴史が出現するか。とりわけヨーロッパ中心でない歴史が出現するのか」という問いに対する答えが1066年、あるいは867年なのである。どういうことか。CK2のプレイ年代の総体が、キリスト教世界としてのヨーロッパの境界をめぐる物語なのである。1066年から1453年の期間を、ノルマン・コンクエストから百年戦争の終結に至る期間を見ることも出来るが、セルジューク朝の西進からコスタンティノープル陥落へと至る期間と見てみる。その上で、歴史の当事者の立場から、「ムスリムはピレネー山脈を超えるかもしれないし、モンゴル人はドナウ川くらい平気で超えそう。コワイ」みたいなことをもにゃもにゃする。そうすると、本作のタイトルがエイジオブエンパイアでもナイツオブオナーでもパトリシアンでもないことの意味合いが見えてくるように思える。■まとめ
・HoIがあんまりおもしろくない理由:大国優位と歴史趨勢の規定性・歴史ゲーは単に歴史的な文脈を引き継ぐだけでも、未来に向かってスコアを伸ばしていくゲームでもないよ。
・CK2はヨーロッパのヨーロッパ性の成立そのものをめぐって展開しているよ。割りといい線言ってるよ。
■その他
・実はこれは俺がパラドゲーに対して抱いている不信感3つのうちの一つでしかないよ。残りはそのうち触れたいよ。■ブロガーには標準で脚注をつけるきのうがない!!!
*1: 今でも作者さんは継続して更新なさっていてすごい。*2: Hannah Arendt, 1968, Between Past And Future , Penguin Classics
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