・見滝原を出て行くシーン、真っ赤な夕焼けを背景にした風力発電の列、そして夜の闇に浮かぶ送電鉄塔(!)が私的には一番よかった。そこに至るまでの、斜めの橋が交差しているシーンも。結界とか異世界みたいな隔絶という形ではなく、あくまでスプロールな光景の連続性の中で、どこにも存在しない空間、場所ではない場所みたいなものをどう描くか、みたいな話。
・私はまどさや厨なので、ほむまどに対する理解は全くない。けれども、議論の余地なく、この映画の一番の見どころは、まどかがほむらの髪を結ってあげるシーンだと思った次第。二人の関係、ほむらの決意、そししてそこで賭けられているもの――これら全てが指先と髪の流れの中で表現されている。
・まどさや的には冬の時代。しかし続編があれば、ほむら世界で真実を探し求めるさやかちゃんの話になるだろう!
・というかさやかちゃんの役回りがひじょうによい。
・二年前にまどか神は「希望と絶望の問題」と呼べるようなモノに、一応の決着はつけたのだが、これは全く不十分なものだったよね、という話の前提は正しい。そこで看過されていたものは愛の問題らしいのだが、これはほむらについてそうである、という以上に、まさしくさやかについてもそうだったといえる。
・一緒に見た某君の議論。「百合を所与の路線にしてしまっていて、色々マズイのではないか」という批判。反芻すればするほど説得的に思えてくる。ほむまどを愛の問題であると言い切ってしまったために、まどさや関係が落ち着きのないものになってしまっている。
・もう一点、某君のいう「さやかちゃんがオクタヴィア的形象を自在に操れるのはおかしいのでは」論。私はさやかちゃんとオクタヴィアちゃんは不可分という立場をとるものの、まどかによる救済の中身がどういう物だったのかは改めて考える必要があると思った次第。
私の結末についての評価は、2年前に書いた通り
結局今でもよくわかってないのは、
・さやかちゃん的葛藤はどうやって回収されたのか。
とりわけ、
・どのような要因が、
・どのようにさやかちゃんの心境の変化をもたらしたのか
そして
・その過程で魔女化はどのように関係しているのか
というようなあたり。
しかし結論から言えば、
・彼女の心的葛藤はどこかに落ち着いた
・おそらくそれには、まどか的要因が作用している
ということは原作の時点で明らかなので、このあたりから議論をするのがよいだろう(そのうちやろう)
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