偉い先生に言われた事②
団地論-郊外論の射程の短さ、またそれをどう整理するかという事について。
原武史先生的団地モデルが通用するのは(本人も認めている通り)60年台くらいまで。
それ以降は都内通勤-鉄道沿線団地から、内陸工業団地-自動車団地、あるいはニュータウン風戸建分譲に推移していくよ、という基本的な事態を押さえよう。
公営住宅に外国人が入ってくるのもその文脈(いやしかし、彼(女)らは他のところの物件から排除されているのだ、という説明はできるだろうが)。
よりゆるふわ的に言うと、
ホワイトカラーーブルーカラー
電車ー自動車
集合住宅ー戸建
分譲ー賃貸
といった軸で整理できるかもしれん。
そう考えると、シムシティ3000で建築様式をアメリカ風-ヨーロッパ風-アジア風といった風にボタンひとつで切り替えられたのは、ミスリーディングであるとともに、興味深いミスリーディングだと思った。思うに、和製シムシティが必要で、それは多分A列車の後継作というよりは、Association Town の後継作なのではないだろうか。

これ最初から線路引いてあるゲームですよね。懐かしいです。動物の森というゲームも、最近は線路と駅をしょよとして町作りするらしいですよ。
返信削除>線路と駅を所与としたまちづくり
返信削除興味深いですね。ゆるふわ都市論的には、そういう都市開発のあり方は戦後ある時期まで、幾分限られた地域で展開されたものにすぎないように思います。にも関わらず、線路と駅をセットでまちづくりを考えてしまうのはなぜなのでしょうか。ぶつ森も、自然豊かな地方と見せかけて、案外千葉県の外房あたりの話なのかもしれませんね。