2013年7月1日月曜日

牛は灰色なのか

・友人に「牛が灰色いってどういうこと?」と問われたが、上手く答えられなかったので調べ直す。
・どういう場合に我々は「それって牛が灰色いってことだよね?」という牧歌的な煽り文句を使うことが出来るのかを問う。
・ネタ本は↓のフレイザー論文①「「アイデンティティ・ポリティクス時代の社会正義」(pp.7-116)。別のところに元ネタがあるのかもしれない。



■ 牛が灰色いとはどういうことか?
前掲のフレイザー論文の趣旨は、現代社会における不正義の諸問題を、アイデンティティをめぐる問題系(承認)と経済的従属をめぐる問題系(再分配)として整理しなおした上で、両者に対して包括的にアプローチをするための枠組みを提示するというものであった。
フレイザーによると、現代社会における経済的-文化的問題に対しては、
①経済主義
②文化主義
③ポスト構築主義的反二元論
④実体的二元論
⑤パースペクティブ的二元論
の、おおよそ4つのアプローチがあるという。 このうち、一方を他方に回収するという①と②のアプローチの限界は、フレイザーの枠組みにおいては明らかである。問題は③である。フレイザーによれば、このアプローチは、経済的問題と文化的問題の区別を、「二分法的」(p.72)として放棄する。というのは、現代においては文化と経済は密接に結びついているためである。このような前提においては、「ある一つの側面に対する闘争が必然的に全体を脅かす」(同上)ため、承認と再分配の問題を分けて考えることは「分裂を生み悪い結果をもたらす」(同上)。それ故、経済的な不正義と文化的な不正義とを脱構築する必要がある、と主張される。
この一見「ファッショナブル」なアプローチは、しかし、次のように批判されている。

すべての牛が灰色であるような闇夜の絵を描くことにほかならず、したがって、階級と社会的地位との実際に存在する違いをあいまいにすることで、このアプローチは社会的現実を理解するのに必要なツールを放棄しているのである(フレイザー前掲:73)
■牛を灰色にしないために
このように、フレイザーは承認と再分配の区別を重視するものの、他方で、両者を2つの異なる領域――経済的領域と文化的領域――におけるそれぞれ異なった正義と不正義の有り様と考える④実体的二元論をもまた不十分であると指摘している。これは、経済領域と文化的領域の相互浸透を捉え損なうためである。
ではどうすればいいのか。この問題に答えるのが趣旨ではないため、軽く触れるに留める。フレイザーの解決策は⑤パースペクティブ的二元論である。これは、実体的二元論と同様、経済的領域と文化的領域の二元性を措定するものの、それぞれに承認の正義と再分配の正義が対応している訳ではない。そうではなく、承認の正義と再分配の正義は、あらゆる領域について批判を可能にするようなパースペクティブであるとされる。

■その牛は本当に灰色か?
 この中で、脱構築的な反二元論に対してのみ、「灰色の牛」批判が適用されていることに注目しよう。別言すれば、一方を他方に回収する還元主義や、二元論を維持したまま両者の相互作用を見ていくような議論は「牛が灰色」批判の埒外にあるとわかる。
他方で、ポスト構築主義的反二元論が還元主義的ではなく、それゆえにどこか洗練された趣があるように思えるのは、それが問題の構造を批判的に検討することを通じて、なにか新しい枠組みを――バトラーであればセクシュアリティとかなんとか――提起することを志向しているからであるように思える。にも関わらずそれがフレイザーによって「灰色の牛」と批判されるのは(バトラー=フレイザー論争を振り返るリソースはないので、フレイザーの書き物のみに依拠することになるが)、その「新しいナニカ」が不明瞭だからであろう。
結局のところ、ここで賭けられているのは問題状況をどのように考えるか、ということであろう。あくまで分析的に、現実を切り分けるパースペクティブを沢山持っていた方がよいというフレイザーのスタイルは分かるものの、 二分法自体を生み出すメカニズムを攻撃し、新しい枠組みを提示していくという戦略は、少なくとも理論的には魅力的であるように思える。「牛が灰色」批判は、前者のような観点からの後者の観点を批判するための煽り文句であり、一方ではその論行のスタイルに、他方ではその結論の曖昧さに向けられているのである。

■どういう時に牛が灰色批判を使えるか
まとめに替えて
・ ある異なった問題・枠組みを一つの新しい枠組みに統合しなおすような議論に対して、我々は「闇夜の灰色の牛」という批判を使うことが出来るかもしれない。
・これは還元論批判ではない。
・二つの要素の相互作用を見ていく議論について使うのは微妙。議論の重点がどこにあるか。おそらく、方法論的な二元性を維持するよりも、相互浸透のダイナミズムを問うことに重点が置かれている場合は、「灰色の牛」に近づいている。

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