2013年12月8日日曜日

Starbound: 宇宙海賊始めました

 宇宙船の燃料が尽きたために立ち寄ったこの砂漠の星に、日没が刻一刻と迫ろうとしていた。見慣れぬ形をした岩山の向こうに沈む太陽を睨みながら、私は焦り始めていた。この砂漠の夜は、活動するにはあまりに寒く、そこかしこを危険な怪物が徘徊しはじめるためである。早く安全な場所を見つけなくては――と歩調を早めた私は、気がつくと奇妙な谷に迷い込んでいた。見たことのない生き物の死骸がそこかしこに転がり、気がつけばじゃりじゃりと踏みつける地面は、一面人間に似た生き物の頭蓋骨に覆われていた。人一人見ることのないこの寂しい惑星にあって、一体どのような惨事がこの死骸の山を築かせたのだろうか――そんな思考は遠くに見える人工物の明かりによって、唐突に中断された。目を凝らしてみれば、何かの施設のようなものが、丘の上にぽつんと建っている。あそこまで行けば、安全に今夜を越すことが出来るかもしれない――人骨をかき分けて進む私はやがて、朽ちかけた看板に次のような文字を認めることとなった。

「USCM 強制収容所」




 そんなわけで、Starboundのβを始めたしだい。

□Terrariaとどのあたりが変わったか:
・ブロックの採掘が、1マス単位ではなく、3*3マス単位になった。たいへんに快適。
・物理処理の変更。砂ブロックの挙動が大分リアルになった。
・ブロックの硬さの感覚が変わった。硬いブロックは硬く、柔らかいブロックはやわらかく。硬い岩盤を避けて掘っていくバランス。多分。 ・泳げる。たいへんに快適。
・星はそれぞれ一つのバイオームとみなされる。シード値を使って星系が作成され、星系無いの惑星-衛星上を探検することが出来る。
・それぞれの星の地表には、NPCの都市や、ダンジョン、遺跡といった名所がある。地下を掘らずとも、観光しているだけで楽しい。
・アイテム数は実際多い。しかし、感覚としてはクラフティング<探索という印象。謎のアイテムをそこらへんの遺跡からひっぺがして持ってくるのが楽しい。
・クラフティング用のレシピは、レアアイテムである所の青写真を使うことで覚えられる。青写真は、魔法的なスキルを覚えるのにも使われる。
・(多分)HPの上限や、マナの上限を増やすために、ハートや星を集める必要がなくなった。

 ゲームの細かい雰囲気や仕様が大幅に変わっているにも関わらず、プレイヤーが進むべき道はTerrariaとそれほど変わっていない印象。つまり、要所要所でボス戦があり、それをクリアしないことには、ゲームの新しい要素にアクセスすることが出来ない、というものだ。これはちょっと残念な点である。折角沢山の星々を行き来することが出来る仕様になっているのだから、ゲームの展開ももっと複数的であってよかったように思う(β版的感想)。
 星々、とりわけその星に固有の施設はたいへんによく作りこまれており、多分バリエーションも豊富。というか豊富であってほしい。どれだけ沢山のコンテンツが導入されるかによって、評価が大きく変わってくるだろう。






2013年11月12日火曜日

まどか☆マギカのさやか的解釈①: 新編を評価するための幾つかの論点

 まどか☆マギカ新編の話の展開としての面白さ、映像としての完成度はたいへんなものなので、実際のところ「すごくよかった」という感想しか出てこないというのが個人的な感想である。批判するにしても、擁護するにしても、何かしらの視座と立脚点は必要で、それを以下に述べようと思う。
 この視座は、評論的なものでも、価値中立的なものでももちろんなく、要するに、「さやか的観点から言って、新編はどうよ?」という話になる。だがそもそもさやか的観点とは?

(以下は物語の話です。無論ネタバレ注意)


2013年8月14日水曜日

2013年8月6日火曜日

パラドゲーとわたし: 過去と未来の間


EU4の発売(が近い)記念。パラドゲーについてつらつら書いていく。

9世紀のヨーロッパはだいぶせまい

 

■はじめに: HoI2の思い出

 私はCreative Assembly信者のTotal War厨なので、長い間パラドゲーには不信感を抱いてきた。
 この不信感は私初めてパラドゲー――HoI2をプレイした時にさかのぼる。初めてプレイした国家は、忘れもしない、中国共産党だった。周知のように1936年シナリオの中国共産党は一桁台のICしかない小国であって、当然ゲームにならない。これはいかんと思った私は次にオランダでプレイを始めた。軍の動かし方もわからない初心者は例の電撃戦に飲み込まれ、途端にやることがなくなる。さすがに懲りた私は次にドイツを選択した。ドイツはすごい!中国共産党とは比べ物にならない豊かな国である。で、ラインラント進駐、ズデーテン割譲、ポーランド戦…と歴史イベントを進めていくうちに、パラドゲー、というかHoI2がどのような思想に基づいて設計された作品なのかが分かってきた。

 ・第二次世界大戦という時代にあっては大国プレイが正義である。小国はまともな方法でプレイできると思うな。
・歴史イベントに逆らうことは難しい。ポーランドは滅び、ドイツとソ連は殴り合い、最後にはアメリカが爆発する。

 もちろん、プレイヤーの習熟と奇策によって小国プレイは楽しくなるし、近接攻撃機と包囲戦略によって歴史の趨勢をひっくり返すことが出来るというのは分かる。しかし、そうであればこそHoI2は大国の優位歴史趨勢の規定性をゲームデザインの前提として持っているのだ、という話になってしまう。

■そうじゃないんだ俺がやりたいのは: ヒストリカルグランドストラテジーの別の系譜

 もちろん、ドイツAIがポーランドに弾き返され、アメリカにAI満州国軍が上陸するゲームが果たしてヒストリカルグランドストラテジーとして面白いかは大いに疑わしい。しかし、「縛りプレイ」めいた小国で、あくせくと歴史のifを追求することだけが同作の面白さだとは思えない。
 私とHoIにとって幸福だったことは、キャラゲ大戦MODという神がかったMOD*1があったことである。例えば、私は中南米の某国を担当する。ICは10ちょい、歩兵が5個師団ばかり、第一次世界大戦型の戦艦2隻を中核とする比較的強力な(!)艦隊があるものの、空軍は存在しない。どうみても弱小国だが中国共産党のような絶望感はない。周りに大国はなく、歴史イベントの縛りがゆるいからである。幸い南米のほぼ全域が中核州なので、とりあえず近隣のIC10くらいの国をいくつか殴って、地域の中堅国にのしあがる。周りを見渡すと、同様に幾つかの近隣国が淘汰に生き残って中堅国に成長している。
 ここからが本当に楽しい。30くらいのICをやりくりして、更地から近代的な軍隊を作るのである。ジャングル戦に備えて山岳歩兵を中核にするべきか、それとも海上輸送の機動力を活かした海兵隊を作るべきか。仮想敵国の海軍の水準を調べ、南米で唯一の空母を持っていることが分かり青ざめる。で、こちらも空母(3年くらいかかる)の生産キューを入れたりする。そうこうしている間に初の国産(!)豆戦車が完成したり、初の国産戦闘機が実用化したりする。もちろん師団や艦船には名前をつける。全部で20個師団くらいしかないから管理も面倒ではないし愛着もある。


空母やったー!

 もちろん拡張はうまくいくこともあればうまくいかない事もある。しかしゲームプレイは総じて余裕がある。もちろん、自分よりも大きな相手を殴る必要がある場面はある。大国同士のアルマゲドンめいた最終戦争に至るレースゲームという感覚がないため、戦争は非常に楽しい。パラドゲーだから適当にやってもなんとかなるしね。

■4Xストラテジーの面白さ

 何もない所から帝国を作り上げる楽しさ、あるいは自分好みに国家を少しずつ発展させ、拡張させていく快楽。この論理を突き詰めたのが所謂4Xストラテジーである。
 ゲームデザインというだけでなく、その歴史観において4Xストラテジーとパラドゲーは決定的に異なっている。4Xストラテジーは歴史を作るゲームではないから、というのではない。そうではなく、4Xストラテジーは歴史に基づかないのである。パラドゲーに大国と小国があり、歴史イベントがあるのは、それがある特定の時代、特定の歴史的文脈を切り出して持ってきたからである。
 これに対して、4Xストラテジーは――友人の言葉を借りれば――歴史を継承しない。もちろんシド星の歴史を見れば時々の局面においては大国があり、小国がある。しかし、それらの国々は紀元前4000年にはすべて開拓者の一団であった。シド星の諸文明はこれ以上遡れない歴史の始原を持ち、その地点においてはあらゆる文明は平等なスタートラインに立っているのである。

■歴史を作るとはどういうことか

 話を戻す。私がHoIについて抱いた不信感は、あまりにも多くのことが当時の大国間の力関係と、歴史的趨勢によって決定されてしまっている、ということであった。言い換えれば、パラドゲーの1936年においては、第二次世界大戦がドイツとイギリス、ソ連との間で戦われることは予定されているのである。ところで、現実の1936年に生きた人々にとって、第二次世界大戦は当然の帰結だったのだろうか。そんなことはあるいまい。それどころかおそらく、ミュンヘン会談の時のチェンバレンや、ポーランド回廊を要求した時のヒトラーにとってすら、我々の知る歴史の趨勢は全く明らかなものではなかっただろう。
 大澤真幸がよく言っているように、歴史の趨勢というのは歴史が終わった、事後の視点に立って初めて獲得されるのである。これに対して、歴史の特定の局面では、常に別様な可能性が開かれているのである。この、(例えば)1936年を現在として生きる視点についてもう少し肉付けをしておこう。ハンナ・アレントをひけば、これは狭い路地で二人の暴漢に襲われるイメージである(てきとう)。背後から襲ってくる第一の暴漢は、過去という。過去によって歴史的な主体は前に押し出されるが、その前方には未来という第二の暴漢が立ちはだかっている。そして、過去とは反対に、未来は彼を後方に押し戻そうとする。

常に過去と未来の間に生きるこの人物の視点から見ると、時間とは連続的なものでも、絶えることのなく継起する流れでもない。それは中間地点、すなわち彼が立っている場所で裂けているのである。彼の立っている場所は我々が普段理解している意味での現在というよりは、時間における裂け目である。そしてこの裂け目は、彼の絶えざる闘争、すなわち彼が過去と未来に抗する限りにおいて存在している。(BFP:10)*2

 HoI――ひいではパラドゲー全般――について言えば、後ろから襲ってくる暴漢についてはよくできている。しかし、前方に立ちはだかる暴漢についてはいささか頼りない。既に見たように、あまりにも多くの趨勢が決定に先立って、或いはゲームシステムに埋め込まれて、予定されてしまっているためである。それは確かに歴史を題材としたロールプレイではありうる。しかしそれは言葉の本当の意味でのヒストリカル・グランドストラテジーとはいえないのである。

■ どこまで時計の針を戻すべきか

 1936年を継承すると、歴史の趨勢は我々の知るそれと殆ど変わらない。では、どこまで時計の針を戻せば別様の可能性を我々は見ることが出来るのだろうか。1914年だろうか。確かにヨーロッパの勢力地図は変わるだろう。しかし、全体的なゲームプレイは殆ど変化がないだろう。では、1848年はどうだろうか。あるいは1453年はどうだろうか。
 一つ明らかなことは、紀元前4000年まで時間を戻す必要はないということである。確かにCilivization的な歴史の始原においては、後ろから追いかけてくる不審者はもはや存在しない。だが同時にそのことは、歴史が内発的に前に進む契機を失っているということでもあるのである(だからCivシリーズにおいては、あくまで「もっとくれ」的に文明ののビーカーやハンマーの数を増やしていくことにゲームの楽しさが集約されるのである)。

立地のよしあしはあるけど…ねえ…

 他方でおそらく、パラドゲーにとっての最大の桎梏は、そのヨーロッパ中心主義である。EUシリーズにおいて、非西洋文化圏が技術開発にペナルティーを課せられているのを見れば分かるように、パラドゲー史観において近代史を駆動させるのは徹頭徹尾ヨーロッパ人なのである。

■ようやくCrusader Kings2について語る

 思うに、「どこまで時間を戻せば全く異なる歴史が出現するか。とりわけヨーロッパ中心でない歴史が出現するのか」という問いに対する答えが1066年、あるいは867年なのである。どういうことか。CK2のプレイ年代の総体が、キリスト教世界としてのヨーロッパの境界をめぐる物語なのである。1066年から1453年の期間を、ノルマン・コンクエストから百年戦争の終結に至る期間を見ることも出来るが、セルジューク朝の西進からコスタンティノープル陥落へと至る期間と見てみる。その上で、歴史の当事者の立場から、「ムスリムはピレネー山脈を超えるかもしれないし、モンゴル人はドナウ川くらい平気で超えそう。コワイ」みたいなことをもにゃもにゃする。そうすると、本作のタイトルがエイジオブエンパイアでもナイツオブオナーでもパトリシアンでもないことの意味合いが見えてくるように思える。

■まとめ

・HoIがあんまりおもしろくない理由:大国優位と歴史趨勢の規定性
・歴史ゲーは単に歴史的な文脈を引き継ぐだけでも、未来に向かってスコアを伸ばしていくゲームでもないよ。
・CK2はヨーロッパのヨーロッパ性の成立そのものをめぐって展開しているよ。割りといい線言ってるよ。

■その他

・実はこれは俺がパラドゲーに対して抱いている不信感3つのうちの一つでしかないよ。残りはそのうち触れたいよ。
 

■ブロガーには標準で脚注をつけるきのうがない!!!

 *1: 今でも作者さんは継続して更新なさっていてすごい。
*2: Hannah Arendt, 1968, Between Past And Future , Penguin Classics  

2013年8月3日土曜日

風立ちぬ見てきたよ


数日前にな。映画館で映画を見るのはほぼ半年ぶり。なんにせよ一緒に行く人が居て、終わった後に感想戦が出来るのはいいことですね。というわけで微ネタバレ含め感想をざっくりと。


2013年7月26日金曜日

ぼくがかんがえた最強の海軍ゲー

かんこれに対抗すると見せかけて、パラドゲーと提督の決断を叩く方針で。
とりあえずコンセプトはみっつ。

①試行錯誤の海軍史をランダム的に
19世紀中葉から20世紀にかけての海軍ドクトリンは試行錯誤と失敗の連続だったろう。ウィキペディア的豆知識風に言えば…
「装甲艦沈まないから衝角つけるはwww」→無理
「魚雷強いから水雷艇だけあればよくね?」→駆逐艦とか来る
「主砲強くすればシタデル打ち抜けるんじゃね?」→副砲のが強い
「副砲と主砲のバランス大切だよね」→ドレッドノートとか来る
「戦艦は20ノットもあればいいよね」→巡洋戦艦とか来る
「とりあえず主砲沢山のっけたはww」→バイタルパートやばい。あと舷側防御じゃダメ
「潜水艦強いし大砲詰むかな…」→…
などなど。
 歴史ゲーとして考えた場合、「どうせ空母の時代が来るからそっから逆算して技術開発するかな」というのは味気ないし歴史認識として正しくない。歴史の当事者の立場はむしろ、「ドリル戦艦を開発するべきか、大艦巨砲潜水艦を作るか」というジレンマを伴うものに近い。つまり、他でにもあり得た可能性があり、歴史の偶然性によって、その選択の帰結は常に明らかでないという立場に身を置かざるを得ない。そういう作品がやりたい。

もうちょっととっつきやすければいい作品だった。
(ちゃんとやってないけど)Sword of the Starsはそういう発想に基づいてテックツリーにランダム性を導入していたと思う。 これと同様に、ゲーム開始時にランダム生成されるシード値に基づいてゲームバランスとテックツリーが微妙に変わるようにする。例えばあるシード値の元では、航空技術の発達が遅れたために、戦艦が遅い時期まで活躍するかもしれないし、別のシード値では砲装兵装が伸びず、装甲技術ばかり進歩したため、衝角戦で決着がつくようになった、などなど。
 これを実装することのゲーム性上のメリットは、単線的な歴史観を回避することで、4Xストラテジーが地獄のレースゲームと化すことを回避できるという点にある。さすがに文明6000年史で別の発展の可能性を考えるのは困難でも、海軍100年史くらいなら行けるはず。*1

②何のための海軍かをちゃんと考える
 以上は技術史的な複数性だったが、海軍ドクトリンの複数性をみていく。4Xストラテジーの大原則は領土拡大=資源の確保。まずこの脳天気な前提を疑う。そもそも占領地の生産はそう簡単に回復しないし、よしんばそれがなされたとしてもそれが天下り的に海軍省に流れ込んでくるわけではない。
 とはいえさすがにゲームなので、海軍貢献点みたいなもので資源管理をやりたい。で、この海軍貢献点の稼ぎ方は国によって違う。イギリス(っぽい国)では、敵艦隊を軍港に封鎖してシーレーンを防衛する毎に貢献点、ドイツ(っぽい国)では、封鎖を突破して通商破壊をする毎に貢献点。陸軍が強い国では陸軍と協働する毎に貢献点が入るのに対して、海軍国は相対的に自律的な作戦行動が出来る…等々。各国の地政学的、軍事的、政治的な違いによって、幾通りもの海軍の在り方が可能だっただろう、ということを示したい。

Shogun2 FotSは立地によって海軍の使い方が大分変わる。これは上手い
③戦ったら負け
 戦勝点ではなく、貢献点と述べた。これは艦隊決戦で勝利することが必ずしも海軍の目的ではなかったし、 海軍ゲーの目的でもないだろうという発想に基づく。場合によっては艦隊が現存していることの方が重要であったし、それは戦時のみならず平時においてもそうだっただろう。言い換えるならば、戦時・平時を問わず、海軍のプレゼンスをめぐる戦争経済のようなものを描きたい。
 例えば、あなたが保有している4隻の戦艦は1年あたり10の貢献点を生産する。これに対して、隣国は火力と装甲で上回る新造艦を建造し、1年あたり15の貢献点を生産するとともに、陳腐化した我が艦隊の貢献点生産力は5点/年まで下がる。これに対して旧式化した戦艦の近代化改修と、新造艦2隻の建造で対抗する…とかなんとか。
 大切なことは、ここでキャピタルシップが生み出す貢献点は、「実際にその船が強いか」とは全く関係がないということである。貢献点評価が低い新技術の艦船で、評価の高い従来型の艦船を駆逐して貢献点を逆転させる、というのは可能である。逆にいえばあなたは何隻でもドリル戦艦を保有できる。その無力さが明らかになるまでは。

 
*1:この議論については徳岡正肇氏のCiv4についての議論(http://www.4gamer.net/weekly/civ4/007/civ4_007.shtml)を参照。

2013年7月21日日曜日

えーちえむえすいんびんしぶるうぃるりーど!

ある映画についての友人の誠実かつ興味深いコメントについて。指摘を受けていくつか考えたことなど。

・経済学説はよくわかんないので、イデオロギーで切って理解している。まあそういう映画だったろう。いい文献があったら教えてほしい。
・社会(科)学における理論研究と政策研究と運動研究、あるいは学者と学識経験者と運動家のテンションの違いについて、お前はどこに居るんだといわれると自殺する。

①資本主義と不確実性問題
 不確実性を蓄積体制と捉えるのか、というのはなるほど。その意味ではネオリベ批判じゃなくて資本主義の話だよね、とうのもなるほど。非常に内在的な批判だと感じた次第。
 しかし、あの映画は「経済ショック」の話(それはむしろハーヴェイがしている)ではなくて、基本的には政治ショックの話だという理解。だから、積極的に洪水を起こしていくようなブルータルな蓄積はさすがにまずいよね、というはなしで、資本主義やめようね、というはなしではさすがにない(という理解)。その意味で、やっぱりネオリベ批判の映画であって、ここでいうネオリベは単に経済政策以上のものだったよね、というのが映画の趣旨だったろう(という理解)。だから、南米研究者が呼ばれるのは正しい。

②正統性調達問題
その流れで、議論が同意の調達の問題に横滑りするのは正しい。
 しかるに、あの映画は(少なくともある意味で)「なんでネオリベに対する同意が調達されたの?」という謎に答える映画であっただろう。すなわち、政策的・国家的な水準においての同意の調達は、惨事と暴力によって調達されていたよね、という議論(マルクス厨の理論的前提として、国家は階級対立産物であるので)。これは言い換えると、事件がおこるたびに関心が横に流れてしまう左翼ぐぬぬ感映画だったよね、という内在的感想もある。
 (むしろこっちの話をしていると思うのだが)これと並行して理論的・学問的なレベルの話をするのも正しい。実は原作はこの話を重点的にしていた説はある(読んでないが)。いずれにしても、おそらく左翼は批判理論という前提を置いているということを押さえておくと見通しがよくなるだろう。つまり、理論・学説の正しさは、客観的・中立的な真空のアカデミアで論証されたりされたりされなかったりするものではない、という議論。
 イデオロギー/階級的な偏向というところまで行かなくても、控えめに言って、70年代からここまで、左派の学者にとって有利な状況は殆どなかったよね、というのは割りと思う。冷戦期における反共主義と、フォーディズム的蓄積の行き詰まりに伴う諸々のインシデント、そしてソ連崩壊というような歴史的文脈がまずあったろう。そのなかではまた、リベラル左派民の思想的・運動的分裂があったろう。それは階級か文化か、フォーディズムを叩くか福祉国家を守るか、グローバルをどう考えるか、みたいな議論があったろう。そういう文脈でハーヴェイの「自由はかすめとられた」論を考えると色々と興味深い。

③事後的批判にすぎないのではないか問題
 これは多分あんまり正しくない。左翼は無駄にセンシチブなので、同時代的批判はあった。でもって、ネオリベでつらぽよ感が高まった時、 「ほらいったじゃん」って言う(これについてはベックがどこかで言っている)
 問題は「ほらいったじゃん」論の無責任さで、これについての批判は正しい。認識の正しさはさておき、実践における無力感が、事後的な全能感に転化するのはよくない。だけれど、そうだとしてどうすればいいのだろう?

 ④結論的箇条書き
・なんにせよ学際性が大事だよね、というのは正しい(ただしそれを運動家に要求するのはできないだろう)。
・理論的・イデオロギー的な蓄積をすることは、学問・運動の進展に不可欠。しかしやりすぎると「あいつ分かってないよな」って言われて交渉の道が絶たれて辛い。
・細分化に対して、統一的なパースペクティブを持ち出して包摂するというよりは、多重見当識的にこうでもあり、ああでもあるというのがいいねと思う(これは100年くらい前の関心だが)。それは有る種の欺瞞とセットであるとはいえ。

2013年7月17日水曜日

バイオショック終わりました

とりあえず難易度ハードで一周したので感想を書きなぐる。ネタバレは極力避ける。



まず、方々で絶賛されているように、素晴らしいシナリオと演出。作りこまれた都市の景観。そして魅力的なキャラクター。
シナリオは東浩紀的(?)なメタフィクション風味な話。国産紙芝居だと複数ルート×分岐構造で「他にもあり得た可能性」を描いていくのに対して、ハリウッド映画的一本道の本作ではFPS内在的な方法でそのあたりのあれこれが表現されていてスゴイ!
シューターとしての出来も次第点以上かと思う。エリザベスちゃんとの共闘感は非常に独特で、ソロのアクションアドベンチャーの新時代を思わせる出来。敵AIもいい仕事をしていて、こちらが物陰に隠れれば良い感じに回り込み、撃たれれば良い感じに悲鳴をあげる。

しかし、この非常に高度なシナリオ/演出は、FPSとしてのゲーム性と喧嘩をしてしまっている感が非常に強い。ウンデット・ニーで心に傷を追った中年男性・ブッカーはしかし、ここにきて幾百の敵キャラを殺戮するし、少女を連れた逃避行中に机を漁っては小銭を稼ぎ、お菓子を食べて体力を回復する。
これは難易度とも関係しているとも思うが、敵キャラは基本的に硬く、戦闘が必ずしもテンポよく進むとは限らない。続きが気になるから、ゲーム自体は全く苦ではないのだが、しかしやはり戦闘がシナリオの邪魔をするという、逆説的な事態がおこっているようにも思う。
 じゃあいっそアドベンチャーとして作ればいいかというとそれも微妙で、前作同様FPSの伝統の上に成立している演出とシナリオであることは否めないし、そもそもFPSでなければ私が手にとったかどうかも微妙。このあたりの匙加減はJRPGがつまずいた地点でもある(適当)。

よく、「父親と娘」がテーマであると言われるけれど、父性みたいなものを描けているかどうかは割りと微妙。少なくとも、エリザベスちゃんが魅力的すぎて色んな意味でミスリーディングな読み込みが出来てしまっている感は割りとある。じゃあ母性はどうか。バイオショック(初代)にはちょっとだけあったこれは、今作では殆どさっぱり。多分FPSerはおっさんが多いのだろう。
今のところ、本作を総括するテーマは「出生」だと感じている。アレントも言っているように、人がひとり生まれるたびに、世界に新しい何かが持ち込まれるのである。

2013年7月15日月曜日

無限のバイオショック始めました

買ってしまったバイオショック・インフィニット。安かったのでつい…



国産勇者のタンス漁りが咎められるものの、ある意味でそれ以上なタンス漁りゲーと化したバイオショック。必ずしもサバイバルホラーではないので、タンス漁りの正統性は微妙だが、心に傷を負った中年男性が主人公なのでギリギリセーフか。

そんな訳で、RPG-FPSとしての線は微妙だが、アドベンチャー-ギャルゲーの線で楽しみたいと思う次第。少なくとも、死滅した海底都市でなく、生きている空中都市の話なので探索は楽しい。

2013年7月14日日曜日

Company of Heroes 2: ソ連軍ユニット使用雑感③

・今回で最後。ふだんあまりお目にかからない人々を。
・例例によってver3.0.0.9720準拠。微妙に古い。
・例によって訳語は日本語wiki(http://wikiwiki.jp/coh2jp/)を参照。
・例によって画像の縦横比が合ってないのは許してくれ。

■KV-8 重戦車








火炎放射機を装備した重戦車。火炎放射がみるみる歩兵を溶かすが、最大の武器は硬さ。ものすごーく硬く、対戦車砲と正面から撃ち合えるレベル(加えて火炎放射で対戦車砲の歩兵が溶ける)。主砲の切り替えも可能で、軽車両・中戦車レベルなら単独で対処が可能。コストも重戦車にしては安い。唯一の欠点は、砲塔の後ろについている機銃がダミーなことくらいか。

■T-34/85








もはやネタユニットと化したT-34/76に比べて、(なぜか)装甲・火力ともに強化されたT-34。四号戦車とも正面から撃ち合えるほどにマッチョに育ってしまった。唯一の欠点は、二台同時に召喚されるため、コストが高いこと。そこで、T3に移行せず、石油とMPを貯める→戦線が押され始めたところで召喚→ウラー!というソ連的をプレイをやると非常に燃える。

■ML-20 152mm榴弾砲









工兵が設置可能な榴弾砲。1v1マップならば大半をカバーするほど射程が長く、割りといい加減な砲撃精度を補って余りある攻撃力。しかし、1v1でこれを出す頃には既に決着がついており、チーム戦ならカチューシャを沢山並べた方がいいような気もする。

■ IS-2 重戦車








122mm砲を装備した重戦車。さぞかし強かろう…と思うとアイエ!?3突に削られてる…?
挙句、主砲再装填・主砲回転速度ともに遅く、4号に周りをぐるぐるされる始末。
好意的に解釈すれば対歩兵-対装甲ともにバランスが取れた攻勢の要()といえなくもない。が、やはり全体的に割高感はぬぐえない。

■ISU-152 重突撃砲








IS-2が値段の割に地味なユニットであったとすれば、こっちは値段相応に尖ったユニット。移動・照準・砲撃のすべてが遅いものの、超射程・高威力を誇る。接近されると脆いので、基本的には前線の2画面くらい後方から敵戦車をスナイプするのに使う。まあこういう高級ユニットはチーム戦くらいしか使い出がないのだが…

2013年7月11日木曜日

Company of Heroes 2: ソ連軍ユニット使用雑感②

・たぶんver3.0.0.9720準拠。微妙に古い。
・例によって訳語は日本語wiki(http://wikiwiki.jp/coh2jp/)を参照。
・例によって画像の縦横比が合ってないのは許してくれ。

 ■M3A1偵察車








 Fuel20の偵察車。中に乗った歩兵も攻撃できるので、スナイパーや火炎放射機を装備した工兵を載せて運用すると強力。裏取りやチームウェポンへの牽制、数を揃えての対歩兵戦など色々な使いでがある。しかし、装甲は無いに等しく、HMGにもガリガリ削られるので運用が難しい。基本的にはチーム戦で使うことが多い。

■76mm野戦砲









よく前に出すぎて歩兵に溶かされる対戦車砲――と見せかけて野戦砲。Ammo60で可能な榴弾砲撃アビリティが非常に便利。射程はそんなに長くないものの、HMG陣地や建物に対する迫撃砲代わりに、あるいは敵歩兵集団に対する牽制に使える。対戦車戦的には射角の狭さを補うために、複数台で運用するべき。

■ M5 ハーフトラック









前作にも登場したアメ車。ソ連軍は野戦陣地から歩兵を補充できないので、基本的には歩兵補充ポイントとして使うことが多い気がする。二台に対空砲を積むと対歩兵攻撃力が激増するが、M3A1と同様、装甲があれなので前に出すとすぐに溶ける。

■T-70 軽戦車








豆戦車的なちいさくてかわいい奴。歩兵に対して非常に強力――らしいが(wiki情報)なぜか私が使うとすぐに溶ける軽戦車。というか上に挙げたソ連軽車両はどれも対歩兵に優れるものの、いずれもパンツァーファウスト2発で溶かされるため、似たり寄ったりの性能と運用になっている感はある。

■T34/76 中戦車








ロージナ茶房の名を冠した偉大な戦車。その本領はラミング。悲しいことに殆ど同口径の4号戦車の半分程度の火力しか無いため、ドイツ軍戦車とやりあうには不十分。そこでラミング。ソビエトロシアではあなたが戦車を突撃する!

■カチューシャ








自走ロケット砲。砲兵全体に言えることではあるが、1v1よりはチーム戦向け。集弾性が低いものの、チーム戦で複数台運用すると楽しい。しかし悲しいかなただのトラックであるため、側面攻撃、敵砲兵のカウンター、航空攻撃その他によってすぐに溶ける。護衛は必須。

■SU76 突撃砲

独軍戦車と撃ちあうにはあまりにも非力だが、機動力を活かして装甲車を狩るのに活躍する。なんといっても、無料のアーティラリー・バラージが強力。機動力を活かして、必要な時に、必要な前線正面に火力支援が出来る。そうはいっても1v1ではあんまり使ったことがないが。

■SU85 駆逐戦車
 現行のとりあえずこれ出しとけ的戦車。同コスト帯の装甲車両では一番強力で、4号・3突ともに打ち勝つことが出来る(きがする)。最大の特徴は射程の長さで、フォーカスド・サイト・アビリティを使うことで側面後方の視界を犠牲に前方視界を強化することも可能。3突のように対歩兵向けアップグレードはないため、基本的に味方歩兵の後方から的車両をピンポイントで狙うように使う。
 












2013年7月9日火曜日

団地論の射程(の短さ)

偉い先生に言われた事②
団地論-郊外論の射程の短さ、またそれをどう整理するかという事について。
原武史先生的団地モデルが通用するのは(本人も認めている通り)60年台くらいまで。
それ以降は都内通勤-鉄道沿線団地から、内陸工業団地-自動車団地、あるいはニュータウン風戸建分譲に推移していくよ、という基本的な事態を押さえよう。
公営住宅に外国人が入ってくるのもその文脈(いやしかし、彼(女)らは他のところの物件から排除されているのだ、という説明はできるだろうが)。

よりゆるふわ的に言うと、
ホワイトカラーーブルーカラー
電車ー自動車
集合住宅ー戸建
分譲ー賃貸

といった軸で整理できるかもしれん。

そう考えると、シムシティ3000で建築様式をアメリカ風-ヨーロッパ風-アジア風といった風にボタンひとつで切り替えられたのは、ミスリーディングであるとともに、興味深いミスリーディングだと思った。思うに、和製シムシティが必要で、それは多分A列車の後継作というよりは、Association Town の後継作なのではないだろうか。




2013年7月8日月曜日

Company of Heroes 2: ソ連軍ユニット使用雑感①

・准尉くらいまで来たので適当なことを書く。とりあえず歩兵から。
・たぶんver3.0.0.9720準拠。
・訳語は日本語wiki(http://wikiwiki.jp/coh2jp/)を参照。
・画像の縦横比が合ってないのは許してくれ。

■戦闘工兵








ドイツ軍の工兵に比べて、生産施設の建設に時間とコストを要する。また、前線に建設出来る施設の種類も少ない。火炎放射器を装備すれば対人にも使えるが、爆発炎上して分隊全滅することもしばしば。60ammoで敷設できる地雷が便利。

■徴収歩兵









場合によってはこいつらだけでなんとかなるマリーン的存在。ウラー突撃からの火炎瓶投擲、対戦車手榴弾での足止めなどなんでもこなす。ドクトリンによってはPPShを装備し、対人性能が化ける。20ammoだし実際安い。

■懲罰大隊








地雷原を歩かされる人達。その正体はエリート歩兵部隊。よく見るとモシンナガンではなくセミオートの小銃を装備しているので、射撃レートが若干高いような気がする。起爆までの時間が長いが威力が絶大な梱包爆弾の投擲が可能。基本的には足止めをした戦車か建物に使うが、巻き込まれうるので繊細な操作が必要。火炎放射器も装備可能で、これは爆発しにくいし落としにくい。ともあれ、あんまり使わない人達。

■美少女








カワイイヤッター!二人いるからと油断しているとすぐに死んでしまう。

■マキシム重機関銃







ドイツ軍のHMGに比べて射角が狭く、制圧力が低い気がする。真価は分隊人数が6人という所で、多少雑な運用をしても死なないのがよい。歩兵の支援に随伴させることが多いような気がする。

■82mm 迫撃砲








HMGと同様6人分隊なので安心感がある。前線の後方においておくだけでじわじわと仕事をしてくれるのでありがたい存在。戦略的にはHMG潰しと歩兵の火力水増しに使う。命中精度はあまりよくないため、一分隊で状況を覆す、という使い方にはあんまりならないが。

■ 突撃隊









480MPもする精鋭歩兵。最初からPPShを装備しているのて近接戦闘で有利。多分手榴弾投擲のリチャージ時間がだいぶ短い。対歩兵戦では有利だが、対装甲向けのアビリティが一切無いため、使い所が非常に難しい感。

■親衛ライフル歩兵








非常にバランスのとれた精鋭歩兵。対戦車ライフル装備・LMGを装備可能で対人・対戦車ともに万能。手榴弾の投擲範囲が広いのもよい。対戦車ライフルはどちらかというと軽車両向きだが、ベテランシーを積んだ複数の分隊を用意すれば中戦車以上とも普通に戦える。敵車両の移動速度・攻撃速度を減退させるアビリティも非常に強力。

■120mm 迫撃砲








砲兵並に射程が長く、威力もすさまじい重迫撃砲。あまりにも射程が長いので、マップの真ん中にぽつんと置いておくだけ近場の敵に砲撃してくれるありがたい存在。車輪がついており、一人でも運べる仕様になっているため、最後の一兵まで戦ってくれ、非常に死ににくい。

2013年7月4日木曜日

どのように問いに答えるか

偉い先生に言われた事
①社会学はオーディエンスと共有出来る問いに対し
②オーディエンスが想像もしないような答えを持ってくるべき
 であって、
③オーディエンスと共有出来ない問いに対し
④誰でも知っているような答えを出す
 …ような学問であるべきではないと言われた。

その指摘自体有りがたかったし非常に説得的ではあるが、社会調査における他者表象の問題や、問いの構築性についてはどう考えればいいのだろうか。


2013年7月1日月曜日

牛は灰色なのか

・友人に「牛が灰色いってどういうこと?」と問われたが、上手く答えられなかったので調べ直す。
・どういう場合に我々は「それって牛が灰色いってことだよね?」という牧歌的な煽り文句を使うことが出来るのかを問う。
・ネタ本は↓のフレイザー論文①「「アイデンティティ・ポリティクス時代の社会正義」(pp.7-116)。別のところに元ネタがあるのかもしれない。



■ 牛が灰色いとはどういうことか?
前掲のフレイザー論文の趣旨は、現代社会における不正義の諸問題を、アイデンティティをめぐる問題系(承認)と経済的従属をめぐる問題系(再分配)として整理しなおした上で、両者に対して包括的にアプローチをするための枠組みを提示するというものであった。
フレイザーによると、現代社会における経済的-文化的問題に対しては、
①経済主義
②文化主義
③ポスト構築主義的反二元論
④実体的二元論
⑤パースペクティブ的二元論
の、おおよそ4つのアプローチがあるという。 このうち、一方を他方に回収するという①と②のアプローチの限界は、フレイザーの枠組みにおいては明らかである。問題は③である。フレイザーによれば、このアプローチは、経済的問題と文化的問題の区別を、「二分法的」(p.72)として放棄する。というのは、現代においては文化と経済は密接に結びついているためである。このような前提においては、「ある一つの側面に対する闘争が必然的に全体を脅かす」(同上)ため、承認と再分配の問題を分けて考えることは「分裂を生み悪い結果をもたらす」(同上)。それ故、経済的な不正義と文化的な不正義とを脱構築する必要がある、と主張される。
この一見「ファッショナブル」なアプローチは、しかし、次のように批判されている。

すべての牛が灰色であるような闇夜の絵を描くことにほかならず、したがって、階級と社会的地位との実際に存在する違いをあいまいにすることで、このアプローチは社会的現実を理解するのに必要なツールを放棄しているのである(フレイザー前掲:73)
■牛を灰色にしないために
このように、フレイザーは承認と再分配の区別を重視するものの、他方で、両者を2つの異なる領域――経済的領域と文化的領域――におけるそれぞれ異なった正義と不正義の有り様と考える④実体的二元論をもまた不十分であると指摘している。これは、経済領域と文化的領域の相互浸透を捉え損なうためである。
ではどうすればいいのか。この問題に答えるのが趣旨ではないため、軽く触れるに留める。フレイザーの解決策は⑤パースペクティブ的二元論である。これは、実体的二元論と同様、経済的領域と文化的領域の二元性を措定するものの、それぞれに承認の正義と再分配の正義が対応している訳ではない。そうではなく、承認の正義と再分配の正義は、あらゆる領域について批判を可能にするようなパースペクティブであるとされる。

■その牛は本当に灰色か?
 この中で、脱構築的な反二元論に対してのみ、「灰色の牛」批判が適用されていることに注目しよう。別言すれば、一方を他方に回収する還元主義や、二元論を維持したまま両者の相互作用を見ていくような議論は「牛が灰色」批判の埒外にあるとわかる。
他方で、ポスト構築主義的反二元論が還元主義的ではなく、それゆえにどこか洗練された趣があるように思えるのは、それが問題の構造を批判的に検討することを通じて、なにか新しい枠組みを――バトラーであればセクシュアリティとかなんとか――提起することを志向しているからであるように思える。にも関わらずそれがフレイザーによって「灰色の牛」と批判されるのは(バトラー=フレイザー論争を振り返るリソースはないので、フレイザーの書き物のみに依拠することになるが)、その「新しいナニカ」が不明瞭だからであろう。
結局のところ、ここで賭けられているのは問題状況をどのように考えるか、ということであろう。あくまで分析的に、現実を切り分けるパースペクティブを沢山持っていた方がよいというフレイザーのスタイルは分かるものの、 二分法自体を生み出すメカニズムを攻撃し、新しい枠組みを提示していくという戦略は、少なくとも理論的には魅力的であるように思える。「牛が灰色」批判は、前者のような観点からの後者の観点を批判するための煽り文句であり、一方ではその論行のスタイルに、他方ではその結論の曖昧さに向けられているのである。

■どういう時に牛が灰色批判を使えるか
まとめに替えて
・ ある異なった問題・枠組みを一つの新しい枠組みに統合しなおすような議論に対して、我々は「闇夜の灰色の牛」という批判を使うことが出来るかもしれない。
・これは還元論批判ではない。
・二つの要素の相互作用を見ていく議論について使うのは微妙。議論の重点がどこにあるか。おそらく、方法論的な二元性を維持するよりも、相互浸透のダイナミズムを問うことに重点が置かれている場合は、「灰色の牛」に近づいている。

2013年6月26日水曜日

Company of Heroes2: とりあえず発売された。

私は前作をそれなりに楽しんだし、CoHはRTSの中でも傑出した特徴をもった稀有な作品だと思っているくらいの信者だけれど、さすがに発売直後のごたごたには辟易したし、あまりにも露骨なDLC展開もどうかと思う。すばらしいシリーズなのに本当に残念なことである。


懸案のCommanderのDLC展開は、未確認だが、レベルを上げないとアンロック出来ないCommanderを早期アンロック出来るという仕様に落ち着いたのだろうか。実際、DLC追加のCommanderは、基本的に既存のスキルと兵科のリシャッフルにすぎない。それ故、課金しようがしまいが、そこまでゲームバランスに悪影響を及ぼすとは思えない。

しかし、そうであればこそ、わざわざマイクロトランザクション的な要素を導入したのが惜しい。本来であれば、AoE3のホームタウンのように、スキルと兵科をプレイヤーの側である程度好きに組み合わせることが出来るような仕組みになっていても良かっただろう。

このあいまいさが、気持ち悪さに結びついているのは否めない。結局のところ、どこまでが課金要素で、どこまでが非課金なのかが曖昧になってしまっているのが問題なのだ。今作はPay to Winなのではないか、としばしば批判されるが、その水準にすらないように思える。端的に言うと、ひとつなぎであるべきコンテンツをわざわざ細分化して、値札をつけて売っているのである。商品化された領域と、脱商品化された領域は、明確に分かたれるべきである。そうでないと、他方が一方によって侵食され、作品としての一体性が解体してしまう。





中身としては、キャンペーンをちょっろっと、ToWをそこそこ進めている。キャンペーンは良くも悪くもコールオブデューティー。ToWは特殊ルールつきのスカーミッシュ+(スタクラにあった)チャレンジという印象。これで金をとるのかよ、というくらいのあっさり感はさておき、単発のシナリオの連続で独ソ戦を描く、というのはそんなに悪くないのではないかと思う。


なにはともあれ、発売されてよかった。

2013年6月23日日曜日

ブログタイトルについて、或いは

多分ご存知の通りでしょうが、当ブログのタイトルは
http://eng.x3tc.ru/x3_tc_map/sector.php?c=MTIzOTg2MjQxOQ
から借用した次第。

本当はここにしようかと思ったのだが、さすがに有名過ぎたので謎の躊躇いがあった。


セクター内にはミリタリー・アウトポストがぽつんとある。たまに回遊魚めいた戦艦が遊弋してて癒される。

2013年6月20日木曜日

Company of Heroes 2:やわらか戦車T-34




現在レベル28。ずっとソ連軍でやっている。バランスを語るのは百年早いだろうけれど、だいたい勝率五割前後を推移しているので、マッチングの性能はそんなに悪くないんじゃないだろうか。

ソビエト軍としての基本戦略は歩兵重視で序盤のマップコントロールに注力するというものをやっている。基本的に弾薬を多く確保し、燃料はむしろ相手に取らせないことを意識して機動する。というのは、現状ソ連の主力戦車であるところのT-34/76があまりにもやわらか戦車だから。

CoH2Statsを見た感じ、
http://coh-moderncombat.com/CoH2Stats/

T-34./76
前面装甲:115
主砲攻撃力:80
主砲貫通力:75

四号戦車
前面装甲:160
主砲攻撃力:160
主砲貫通力:110

※たぶん ver3.0.0.9589準拠

となっており、(マンパワーコストが80くらい違うものの)正面から撃ちあうと必ず負ける。では二台同時に当てればどうか?あんまりビルドを意識しないでやると、そもそも相手の戦車が出てくるタイミングに、こちらのT-34/76の二代目が出せるか微妙。加えて、あんまりマイクロが上手くないから、2対1で1台残れば御の字、相手が強いと両方やられて敵戦車退却ということもある有様。

ではどうするか?
・対戦車砲を最初に出した方がいい。
特に、相手が石油を安定的に確保出来ている場合は。



・ソ連人民を戦車にぶち当てる
コンスクリプト・インファントリーの対戦車手榴弾で足を止め、ガードライフル・インファントリーの対戦車ライフルで削る。経験的に言って、四号戦車なら歩兵3ユニットくらいで倒せる。ただし、敵戦車が二台以上いたり、敵歩兵が優勢だったりすると大変厳しくなる。

・Mechanized Armor Kampaneya からSU-85を出す。

SU-85
前面装甲:180
主砲攻撃力:160
主砲貫通力:170
実際強い。どちらかと言うと三突的だが。

現行バランスだとこれが最適だと思われる。対歩兵が厳しいが、歩兵で負けてるとそもそもソ連軍は勝てないとおもわれる。






『カント政治哲学講義録』③

■第三講義 pp.34-43
□カントと政治体制
晩年になるまで、カントはずっと政治的にはまどろんでいたが、アメリカ革命とフランス革命でやっと目を覚ました。そこに至り、実践理性が国家組織の問題を考えるのに役に立たないことに気がついた彼は、道徳の問題と国家体制の問題を分けて考えるようになった。つまり「悪い人間でも善い国家では善い市民でありうる」(p.35)にはどうすればよいか、という問いが出てくる。

□悪魔の種族
では悪人とは何か?それは自分だけを特別扱いし、定言命法の例外を密かに設ける人。 カント的には悪を意志するのは不可能。さらにカント的には「密かに」というのがポイントで、悪は公にはできない。そうでもないと、皆から叩かれてしまうから。
こういう発想は初期カントにも見られる。彼は悪人の諸行為も、大いなる自然の諸規則に回収されるというようなことを書いている。ここでは、①自己保存という自然的本能があればおk②政治改革は人間の本性を善なるものにする必要はない③公共性が大事、というのがポイントになっている。

□三批判の問いと政治哲学
でもここで、「カントで本当に政治哲学を語れるの」という疑問はある。三批判の問いのうち、「私は何を知ることが出来るか」と「私は何をなすべきか」は、形而上学のテーマ。カントは社交性や伝達可能性、公共性みたいな話をしてはいるが、それは私の言葉でいう行為とはなんら関係がない。
ついでに言うと、これらの問は人間の複数性という条件を考慮していないだろう。カントにとっては、自己是認というソクラテス的なテーマが問題であって、他の人達のことは割りとどうでもよかったんじゃないかな。

□哲学と政治哲学
とはいえ、政治哲学について語ってきた哲学者も、政治的だったとは言えないよね。哲学者が政治的なことを語る場合せいぜいそれは、①他の人達を馬鹿にしているか、②哲学的思索が邪魔をされないような平穏な世の中をどう作るかということを意味しているに過ぎなかったよね。

■雑想
・理性の限界(p.39)の話がわからず。
・哲学と政治の議論はよくあるアレントのテーマ。

2013年6月18日火曜日

ハンナ・アーレント, 『カント政治哲学講義録』を読む②

・要約部分の一人称はアレント
■第一講義  pp.18-23
□書かれざる「第四批判」
カントは政治哲学を語らなかっただろう。政治哲学的なテーマを扱った論文集を「第四批判」と呼ぶ輩もおるようだが、中身はぱっとしないし、カント自身も(笑)をつけて語っているように思われる。

□カントの歴史哲学
それでも政治哲学的な著作を読んでいくと、歴史に関連した論文が多いことが分かるだろう。ここでも評価が難しいことには、歴史哲学をやるならヴィーコ、ヘーゲルあたりを読んだほうがいいということと、歴史哲学を政治哲学の代替としても用いているようにも思えることである。
カントは歴史を自然の生成発展と考えている。つまり、一人の人間が出生し、幼年期・青年期・壮年期…というような発展段階になぞらえて、歴史を理解しているのである。これはカント的には進歩であり自由であり文化であるといえる。だけれども、カントは進歩について憂鬱なビジョンを持っていただろう。というのは、より良い状態に向かって絶えず前進していくということは、現在の状態が常により悪いということである。だから、進歩は実際のところ「諸悪の無限な系列」(p.21)にすぎず、つらぽよ感しかない。

□カントのどこを読むか
晩年のカントは頭がおかしかったのではないか問題。だが私がみたところ 「社会的なもの」に「政治的なもの」を対置し、後者こそが人間の条件であることに気がついたのは晩年のこと。であれば、なぜ政治哲学批判は書かれなかったのか。書かれざる第四批判ではなく、第三批判の中にそれを見出していきたい。

□カントの趣味判断
カントは前批判期に「道徳的趣味判断」の論文を書こうとしたが、30年以上出版されなかった。その間に何をやっていたのか?批判を書いていた。批判を書いてどうなった?第一に、趣味という18世紀的モチーフの背後に、判断力を見出した。第二に、道徳的な命題に関わる実践理性と、判断力を区別するようになった。

■雑想
・ハンス=ザーナーは偉い
・最後の方がよくわからない。「思考が私達が知ることができるものの限界を超越し、自己自身とのアンチノミーに陥ること」(p.22)はどういうことを言っているのか。
・ 最後の一段落、趣味判断と道徳的な判断を区別することは、このあとどのように関わってくるのか。

ハンナ・アーレント, 『カント政治哲学講義録』を読む①


・ Hannah Arendt, Lectures on the Kant's Political Philosophy, edited and with Interpretatie Essay by Ronald Beiner, The Univesity of Chicago Press 1982 =仲正昌樹訳, 2009, 『完訳 カント政治哲学講義録』明月堂書房刊. をちまちま読む。
・適当にまとめる。
・ページ数、引用は特に指示がない場合前掲書の訳本からのものとする。

■『思考』への補遺 pp.12-15
これから意志と判断力を検討していくよ。これらは未だ存在せざるものを対象するよ。しかも特殊なものを特殊なまま、一般化せずにあつかうよ。

□意志
意志は自由と密接不可分だよ。意志によって欲望・理性その他の因果連鎖が断ち切られるような気もするけど、気のせいかもわからんね。

□判断力
『判断力批判』以前は判断力についての議論は殆どなかったよ。判断力は帰納でも演繹でもないよ。判断力は「沈黙の感覚」だから、良心のように、天下り的にああしろこうしろと言うものではないよ。判断力を身につけることは難しいよ。しかし、脱・ひきこもりをするためにはぜひとも身につけたい能力だよ。カントは「統制的理念」でもって判断力を助けようとしたけど、私は判断力固有のやり方があることを示したいよ。

□歴史
 判断力は過去を扱う能力だよ。その意味で歴史家は過去の判定者だよ。一方、近代哲学は歴史の趨勢のようなものを適当に扱い過ぎたよ。歴史の判定者としての能力を相対化することで、近代的な歴史観の超克をはかるよ。

■雑想
・例の「一人でいるときが最も孤独でなく、何もしていない時が最も活動的である」という言明の意味は、いまだにちゃんとわかっていないのですが。
・「敗者の歴史はカトーが喜ぶ」みたいな話。ベンヤミンを経由した大澤真幸の大昔の議論を思い出す。

2013年6月14日金曜日

CoH2 雑想その2

ソ連軍で10ゲームくらいやり、6回くらい負けた。



 ・土地を捨てるか、野戦軍を捨てるか、という地点にゲーム上のトレードオフがある。
勝てない敵と遭遇した場合、全滅する前に撤退するべきだが、他方で敵軍をその場所に釘付けして、少しでも他の地域で戦線を伸ばしたいと思ってしまう。言い換えれば遅滞戦術が場合によっては有効なのではないか。しかし油断してると軍が溶けるのでよくない。

・戦略的には中央を押さえるべき。さもなくば片翼から攻めるべき
プリチャピ等、両脇の石油を押さえた上で、中央に分進合撃したくなるが、これはうまくいくわけがない。多分中央に軍をおいておき、必要に応じて左右に機動させる方が機動力的にもよいだろう。当然といえば当然だが、なぜか前作ではあんまり意識したことがなかった。


 ・ドイツ人に石油を渡してはいけない
 体感的には前作以上に戦車が強いゲームであり、特にドイツ戦車は強い。殆ど石油をめぐる戦争になっている。


・Tire2をすっ飛ばして即T-34してはどうか
これは実際ありだが、問題はそれ以前に勝てる状況ができているかというのと、実際T-34はそこまで強くないということ。



・ブリザードはあんまりいいルールじゃないね
雪で攻勢が困難になるということは、直前に沢山土地を持っている側が有利ということになると思われる。ブリザードを挟んで戦線が動いて停滞するというメリハリは面白いものの、だいぶ理不尽な印象を受けてしまう。

2013年6月10日月曜日

Company of Heroes 2 Open β ちょっと触ってみた





表題の通りCoH2のβテスト、赤軍でCoopを5戦くらい、対人を2戦やってみた。
基本的な枠組みは前作無印をほぼ踏襲。見慣れないUIがちょっと新鮮。
尚、βテストは18日くらいまで誰でも参加でき、製品版を購入した場合、実績と経験値は引き継がれる模様。


見た目的に分かりやすい変更は、近年流行りのアンロッカブルの大幅な追加だろう。前作でいうところのドクトリン/中隊もアンロッカブルになり、上位のドクトリンを採用するためには経験値を貯める必要があるみたい。


アンロック関係で目立つ仕組みはIntelligence Bulletinsの追加だろう。これはユニットの性能を地味に(攻撃力5%upとか)向上させるもので、3つまで選択的に採用することが出来る。ただし、Bulletins自体がアンロッカブルであり、特定の行動を(〇〇を何両撃破とか)をこなして解除していく必要がある。発想としてはShogun2のRetainerに近いが、そこまで劇的な効果があるものかは不明。微妙な数字を積み上げていくという感覚は、LoLのルーンに近いかもしれない。



戦闘についてはどうか。こちらは驚くほど変わっていない。赤軍は殆ど前作のアメリカ軍のような形になっており、ライフルマンとシャーマン戦車を、徴収歩兵とT-34に置き換えたような印象すらある。雪が多いマップだったからかもしれないが、ややもするとユニットの移動が若干遅くなった感はあり、それに合わせてユニットが溶けるスピードも遅くなったかもしれない。前作同様、マイクロ操作はサクサクとは行かず、とはいえ手榴弾、砲撃、その他諸々で軍はあっさり消滅するので、理不尽な負け方をする場面はまだまだありそうである。